特集コラム

Column 1 高円寺の歴史

2009/11/01

中野-荻窪間に消えた駅

高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、開業の1922年(大正11年)7月から溯ること2年と数ヶ月。当時、中野ー荻窪間に駅がなかったため、中間地点に住んでいた人々は延々と歩いて荻窪駅や中野駅まで行かなければなりませんでした。この不便さに意を決したのが、馬橋村にいた浅賀源太郎氏でした。朝賀氏は鉄道省へ新駅誘致を陳惰し「将来、新駅開設の場合は、中野荻窪間4マイルの中間地点に駅を設置する」との内示を得ることに成功したのです。

ところがその二年後の1920年(大正9年)の春。鉄道省より「新駅用地提供願」の要請に、馬橋村の一部に新駅誘致反対者がでました。会合を重ねてみるものの駅の用地提供はまとまらず、新駅設置の情報は阿佐ヶ谷にいた相沢喜兵衛氏の耳に入ることとなりました。相沢氏は高円寺にいた伊藤兼吉氏等と共に運動を行い、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅開設という先週の日記の顛末となるのです。

新駅設置の裏で幻となってしまった馬橋駅ですが...当時の人々の活躍がなければ高円寺駅も阿佐ヶ谷駅なかったかもしれません。中野駅まで歩いていたかと思うと...感謝してもしきれませんね。

文・取材 / 高円寺ナビ

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