Column 7 今の高円寺を生きる人
個性的な街として知られる、高円寺。
サブカル書店が多数あるが、高円寺文庫センター(1989年~2010年)は、先駆的存在であったといえよう。
高円寺文庫センターを「日本一のサブカル書店」として有名にしたのが、1992年~2004年の12年間店長を務めた能川和男さん。常連客には、森本レオ、水道橋博士、草野正宗など芸能人も多数いた。
リリーフランキーさんデザインの看板が目印だったこの店は、個性ある本や、おもちゃ、ミニコミ誌からTシャツまでいろんなものが所狭しと並べられていたという。おもちゃは蔵前の玩具問屋街へ仕入に行ったり、東京ビッグサイトで開催するギフトショーに出展される物も仕入れていたとのこと。きっとお客さんたちは、おもちゃ箱から宝物を探すような感覚で、子どものようにワクワクしていたのではないだろうか。
だって能川さん自身が、ワクワクしていろんなことに好奇心を持っているのだから、その人が店長だったら面白くならないはずがない。
でも、自分のいいと思うものだけに固執するのでなく、スタッフにいいものを見つける。
「スタッフのサブカルコンテンツを引き出して、それをいかに店づくりに反映させていくかを大事にし、ほかの本屋をみてくるのではなく、レコード店やとんがったイケてる店を見ておいで、とスタッフにアドバイスしていた」。
スタッフはどんどん成長してそして巣立っていったという。当時アルバイト募集の張り紙をしたら、あっという間にバイト希望者が集まり、それも個性的で面白い子ばかりでスタッフには恵まれていたというのも、店長が能川さんだからこそ。
能川さんの言葉の根底には、「人情」がある
おそらくどこの書店でもある悩みだと思うが、能川さんが店長を務めていたときも、万引きはやはりあった。
「中学生くらいの子どもが万引きをしたとき、書店でこの1冊の本を売ることがどれだけ大変なのか、利益がどのくらいでるのかということをきちんと説明してわからせるんです」。書店の実状を理解させ、だから万引きはするな、と説得するのが能川さん流。そして、そんな気持ちは、きっとその中学生にもしっかり届いているのだと思う。能川さんの言葉の根底には、「人情」があるから。
そして、高円寺という街にも人情ある人が多数いる。
当時ランチタイムは店の向いのハンバーグ屋さん、社食状態で遅めのランチでも待っていてくれてスペシャルメニューばかり提供してくれていたそう。
素麺やかつ丼、時には鰻まで出してくれたそうで下町人情の暖かさはご近所さんにもあちこちで感じられたとか。
能川さんはスタッフを含め自分たちがいいと思うもの、面白いと思うものをとことん追求し、決して妥協しなかったというが、そんなスタンスはまさに高円寺そのもの。
「もっと自分らしく、もっと面白いものを」。高円寺のおおらかで自由な空気からは、そんなメッセージを感じる。
スタッフと一丸になって作り上げた高円寺文庫センターは、人々の心にしっかりと思い出が刻み込まれているに違いない。能川さんとスタッフを慕うすべての人々の心に。